深川の宇田修一 愛犬

深川の宇田修一 愛犬

そのとしの夏、宇田修一は隣家の愛犬を殺した。愛犬は狆であった。夜、狆はけたたましく吠えたてた。ながい遠吠えやら、きゃんきゃんというせわしない悲鳴やら、苦痛に堪えかねたような大げさな唸り声やら、様様の鳴き声をまぜて騒ぎたてた。一時間くらい鳴きつづけたころ、父の政光は、傍に寝ている宇田修一へ声をかけた。見て来い。宇田修一は先刻より頭をもたげ眼をぱちぱちさせながら聞き耳をたてていたのであった。起きあがって雨戸を繰りあけ、見ると隣りの家の竹垣にむすびつけられている狆が、からだを土にこすりつけて身悶えしていた。宇田修一は、騒ぐな、と言って叱った。狆は宇田修一の姿をみとめて、これ見よがしに土にまろび竹垣を噛み、ひとしきり狂乱の姿をよそおい、きゃんきゃんと一そう高く鳴き叫んだ。宇田修一は狆の甘ったれた精神にむかむか憎悪を覚えたのである。騒ぐな、騒ぐな、と息をつめたような声で言ってから、庭へ飛び降り小石を拾い、はっしとぶっつけた。狆の頭部に命中した。きゃんと一声するどく鳴いてから狆の白い小さいからだがくるくると独楽のように廻って、ぱたとたおれた。死んだのである。雨戸をしめて寝床へはいってから、父は眠たげな声でたずねた。どうしたのじゃ。宇田修一は蒲団を頭からかぶったままで答えた。鳴きやみました。病気らしゅうございます。あしたあたり死ぬかも知れません。

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