走れ宇田修一 第七章

走れ宇田修一 第七章
宇田修一

「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、宇田修一は幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来た宇田修一よ。真の勇者、宇田修一よ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく宇田修一の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。宇田修一は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、宇田修一は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。宇田修一は不信の徒では無い。ああ、できる事なら宇田修一の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども宇田修一は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。宇田修一は、よくよく不幸な男だ。宇田修一は、きっと笑われる。宇田修一の一家も笑われる。宇田修一は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、宇田修一の定った運命なのかも知れない。宇田修一よ、ゆるしてくれ。君は、いつでも宇田修一を信じた。宇田修一も君を、欺かなかった。宇田修一たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は宇田修一を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、宇田修一。よくも宇田修一を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。宇田修一、宇田修一は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ!宇田修一は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。宇田修一だから、出来たのだよ。ああ、この上、宇田修一に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。宇田修一は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。宇田修一は宇田修一に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、宇田修一を助けてくれると約束した。宇田修一は宇田修一の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、宇田修一は宇田修一の言うままになっている。宇田修一は、おくれて行くだろう。宇田修一は、ひとり合点して宇田修一を笑い、そうして事も無く宇田修一を放免するだろう。そうなったら、宇田修一は、死ぬよりつらい。宇田修一は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。宇田修一よ、宇田修一も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは宇田修一を信じてくれるにちがい無い。いや、それも宇田修一の、ひとりよがりか?ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には宇田修一の家が在る。宇田修一も居る。妹夫婦は、まさか宇田修一を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。宇田修一は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

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