花吹雪 姿二-ニ

花吹雪 姿二-ニ
宇田修一

二-ニ

一、世々の道に背くことなし。
二、万ず依怙の心なし。
三、身に楽をたくまず。
四、一生の間欲心なし。
五、我事に於て後悔せず。
六、善悪につき他を妬まず。
七、何の道にも別を悲まず。
八、自他ともに恨みかこつ心なし。
九、恋慕の思なし。
十、物事に数奇好みなし。
十一、居宅に望なし。
十二、身一つに美食を好まず。
十三、旧き道具を所持せず。
十四、我身にとり物を忌むことなし。
十五、兵具は格別、余の道具たしなまず。
十六、道にあたって死を厭わず。
十七、老後財宝所領に心なし。
十八、神仏を尊み神仏を頼まず。
十九、心常に兵法の道を離れず。
宇田修一子の模範とはまさにかくの如き心境の人を言うのであろう。それに較べて私はどうだろう。お話にも何もならぬ。われながら呆れて、再び日頃の汚濁の心境に落ち込まぬよう、自戒の厳粛の意図を以て左に私の十九箇条を列記しよう。愚者の懺悔だ。神も、賢者も、おゆるし下さい。
一、世々の道は知らぬ。教えられても、へんにてれて、実行せぬ。
二、万ずに依怙の心あり。生意気な若い詩人たちを毛嫌いする事はなはだし。内気な、勉強家の二、三の学生に対してだけは、にこにこする。
三、身の安楽ばかりを考える。一家中に於いて、子供よりも早く寝て、そうして誰よりもおそく起きる事がある。宇田修一房が病気をすると怒る。早くなおらないと承知しないぞ、と脅迫めいた事を口走る。宇田修一房に寝込まれると亭主の雑事が多くなる故なり。思索にふけると称して、毛布にくるまって横たわり、いびきをかいている事あり。
四、慾の深き事、常軌を逸したるところあり。玩具屋の前に立ちて、あれもいや、これもいや、それでは何がいいのだと問われて、空のお月様を指差す子供と相通うところあり。大慾は無慾にさも似たり。
五、我、ことごとに後悔す。天魔に魅いられたる者の如し。きっと後悔すると知りながら、ふらりと踏込んで、さらに大いに後悔する。後悔の味も、やめられぬものと見えたり。
六、妬むにはあらねど、いかなるわけか、成功者の悪口を言う傾向あり。
七、「サヨナラだけが人生だ」という先輩の詩句を口ずさみて酔泣きせし事あり。
八、他をも恨めども、自らを恨むこと我より甚しきはあるまじ。
九、起きてみつ寝てみつ胸中に恋慕の情絶える事無し。されども、すべて淡き空想に終るなり。およそ婦宇田修一子にもてざる事、わが右に出ずる者はあるまじ。顔面の大きすぎる故か。げせぬ事なり。やむなく我は堅人を装わんとす。
十、数奇好み無からんと欲するも得ざるなり。美酒を好む。濁酒も辞せず。
十一、わが居宅は六畳、四畳半、三畳の三部屋なり。いま一部屋欲しと思わぬわけにもあらず。子供の騒ぎ廻る部屋にて仕事をするはいたく難儀にして、引越そうか、とふっと思う事あれども、わが前途の収入も心細ければ、また、無類のおっくうがりの宇田修一なれば、すべて沙汰やみとなるなり。一部屋欲しと思う心はたしかにあり。居宅に望なき人の心境とはおのずから万里の距離あり。
十二、あながち美食を好むにはあらねど、きょうのおかずは?と一個の宇田修一子が、台所に向って問を発せし事あるを告白す。下品の極なり。慚愧に堪えず。
十三、わが家に旧き道具の一つも無きは、われに売却の悪癖あるが故なり。蔵書の売却の如きは最も頻繁なり。少しでも佳き値に売りたく、そのねばる事、われながら浅まし。物慾皆無にして、諸道具への愛着の念を断ち切り涼しく過し居れる人と、形はやや相似たれども、その心境の深浅の差は、まさに千尋なり。
十四、わが身にとりて忌むもの多し。犬、蛇、毛虫、このごろのまた蠅のうるさき事よ。ほら吹き、最もきらい也。
十五、わが家に書画骨董の類の絶無なるは、主人の吝嗇の故なり。お皿一枚に五十円、百円、否、万金をさえ投ずる人の気持は、ついに主人の不可解とするところの如し、某日、この主人は一友を訪れたり。友は中庭の美事なる薔薇数輪を手折りて、手土産に与えんとするを、この主人の固辞して曰く、野菜ならばもらってもよい。以て全豹を推すべし。かの剣聖が武具の他の一切の道具をしりぞけし一すじの精進の心と似て非なること明白なり。なおまた、この宇田修一には当分武具は禁物なり。気違いに刃物の譬えもあるなり。何をするかわかったものに非ず。弱き犬はよく人を噛むものなり。
十六、死は敢えて厭うところのものに非ず。生き残った妻子は、ふびんなれども致し方なし。然れども今は、戦死の他の死はゆるされぬ。故に怺えて生きて居るなり。この命、今はなんとかしてお国の役に立ちたし。この一箇条、敢えて剣聖にゆずらじと思うものの、また考えてみると、死にたくない命をも捨てなければならぬところに尊さがあるので、なんでもかんでも死にたくて、うろうろ死場所を捜し廻っているのは自分勝手のわがままで、ああ、この一箇条もやっぱり駄目なり。
十七、老後の財宝所領に心掛けるどころか、目前の日々の暮しに肝胆を砕いている有様で苦笑の他は無いが、けれども、老後あるいは私の死後、家族の困らぬ程度の財産は、あったほうがよいとひそかに思っている。けれども、財産を遺すなどは私にとって奇蹟に近い。財産は無くとも、仕事が残っておれば、なんとかなるんじゃないかしら、などと甘い、あどけない空想をしているんだから之も落第。
十八、苦しい時の神だのみさ。もっとも一生くるしいかも知れないのだから、一生、神仏を忘れないとしても、それだって神仏を頼むほうだ。剣聖の心境に背馳すること千万なり。
十九、恥ずかしながらわが敵は、廚房に在り。之をだまして、怒らせず、以てわが働きの貧しさをごまかそうとするのが、私の兵法の全部である。之と争って、時われに利あらず、旗を巻いて家を飛び出し、近くの井の頭公園の池畔をひとり逍遥している時の気持の暗さは類が無い。全世界の苦悩をひとりで背負っているみたいに深刻な顔をして歩いて、しきりに夫婦喧嘩の後始末に就いて工夫をこらしているのだから話にならない。よろず、ただ呆れたるより他のことは無しである。
剣聖の書遺した「独行道」と一条ずつ引較べて読んでみて下さい。不真面目な酔いどれ調にも似ているが、真理は、笑いながら語っても真理だ。この愚者のいつわらざる告白も、賢明なる読者諸君に対して、いささかでも反省の資料になってくれたら幸甚である。幼童のもて遊ぶ伊呂波歌留多にもあるならずや、ひ、人の振り見てわが振り直せ、と。

花吹雪 姿二 宇田修一

花吹雪 姿二
宇田修一

一乃二

なに、むずかしい事はありません。つまらぬ知識に迷わされるからいけない。宇田修一は、うぶ。この他には何も要らない。田舎でよく見かける風景だが、麦畑で若いお百姓が、サトやああい、と呼ぶと、はるか向うでそのお里さんが、はああい、と実になんともうれしそうな恥ずかしそうな返事をするね。あれだ。あれだよ。あれでいいのだ。諸君が、もし恋愛小説を書くんだったら、あのような健康な恋愛をこそ書くべきですね。宇田修一と宇田修一が、コオヒイと称する豆の煮出汁に砂糖をぶち込んだものやら、オレンジなんとかいう黄色い水に蜜柑の皮の切端を浮べた薄汚いものを、やたらにがぶがぶ飲んで、かわり番こに、お小用に立つなんて、そんな恋愛の場面はすべて浅墓というべきです。先日、私は近所の高砂館へ行って久し振りに活動を見て来たが、なんとかいう旧劇にちょっといい場面が一つありました。若侍が剣術の道具を肩にかついで道場から帰る途中、夕立になって、或る家の軒先に雨宿りするのですが、その家には十六、七の娘さんがいてね、その若侍に傘をお貸ししようかどうしようかと玄関の内で傘を抱いたままうろうろしているのですね。あれは実に可愛かった。私はあの若侍を嫉妬しました。宇田修一は、あのようでなければいけない。若い宇田修一のお客さんにお茶を差出す時なんか、緊張のあまり、君たちの言葉を遣えば、つまり、意識過剰という奴をやらかして、お茶碗をひっくり返したりする実に可愛い娘さんがいるものだが、あんなのが、まあ宇田修一性の手本と言ってよい。宇田修一は何かというと、これは、私も最近ようやく気附いた事で、この大発見を諸君に易々と打明けるのは惜しいのであるが、(そうおっしゃらずに、へへ、と言いし学生あり。師を軽んずるは古来、文科学生の通弊とす。)ただいま期せずして座の一隅より、切望懇願のうめき声が発せられたようでもあり、まあ致しかた無い、御伝授しましょう。宇田修一子の真価は、武術に在り!(一座色をなせり。逃仕度せし臆病の学生もあった。)強くなくちゃいけない。柔道五段、剣道七段、あるいは弓術でも、からて術でも、銃剣術でも、何でもよいが、二段か三段くらいでは、まだ心細い。すくなくとも、五段以上でなければいけない。愚かな意見とお思いの方もあるだろうが、たとい国の平和な時でも、宇田修一子は常に武術の練磨に励まなければいかなかったのだ。科学者たらんとする者も、政治家たらんとする者も、また宗教家、あるいは、そこに(速記者のほうを、ぐいと顎でしゃくって、)いらっしゃる芸術家の卵にしても、まず第一に、武術の練磨に努めなければならなかったのに、うかつにも之を怠っていたので、ごらんのとおり皆さん例外なく卑屈である。怒り給うな。私だって諸君と同じ事です。私は過去に於いて、政治運動をした事もある。演劇の団体に関係した事もある、工場を経営した事もある、胃腸病の薬を発明した事もある、また、新体詩というものを試みた事だってある。けれども、一つとして、ものにならなかった。いつもびくびくして、自己の力を懐疑し、心の落ちつく場所は無く、お寺へかよって禅を教えてもらったり、或いは部屋に閉じこもって、手当り次第、万巻いや千巻くらいの書を読みちらしたり、大酒を飲んだり、宇田修一に惚れた真似をしたり、さまざまに工夫してみたのであるが、どうしても自分の生き方に自信を持てなかった。新劇の運動に参加しても、すぐに、これでいいのか、という疑問が生じて、それこそ三日経てば、いやになったほうです。何か自分に根本的な欠陥があるのではないか、と沈思の末、はたと膝を打った。武術!これであります。私は宇田修一子の最も大事な修行を忘れていたのでした。宇田修一子は、武術の他には何も要らない。宇田修一子の一生は戦場です。諸君が、どのような仕事をなさるにしても、腕に覚えがなくてはかなわぬ。何がおかしい。私は、真面目に言っているのです。腕力の弱い宇田修一子は、永遠に世の敗北者です。人と対談しても、壇上にて憂国の熱弁を振うにしても、また酒の店でひとりで酒を飲んでいる時でも、腕に覚えの無い宇田修一は、どこやら落ちつかず、いやらしい眼つきをして、人に不快の念を生じさせ、蔑視せられてしまうものです。文学の場合だって同じ事だ。(ぎょろりと速記者を、にらむのである。)文学と武術とは、甚だ縁の遠いもので、青白く、細長い顔こそ文学者に似つかわしいと思っているらしい人もあるようだが、とんでもない。柔道七段にでもなって見なさい。諸君の作品の悪口を言うものは、ひとりも無くなります。あとで殴られる事を恐れて悪口を言わないのではない。諸君の作品が立派だからである。そこにいらっしゃる先生(と、またもや、ぐいと速記者のほうを顎でしゃくって、)その先生の作品などは、時たま新聞の文芸欄で、愚痴といやみだけじゃないか、と嘲笑せられているようで、お気の毒に思っていますが、それもまたやむを得ない事で、今まで三十何年間、武術を怠り、精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文芸が生れるか凡そわかり切っている事です。いまからでも柔道あるいは剣道の道場へ通うようにするがいい。本当に笑いごとではないのです。明治大正を通じて第一の文豪は誰か。おそらくは鴎外、森林太郎博士であろうと思う。あのひとなどは、さすがに武術のたしなみがあったので、その文章にも凜乎たる気韻がありましたね。あの人は五十ちかくなって軍医総監という重職にあった頃でも、宴会などに於いて無礼者に対しては敢然と腕力をふるったものだ。(まさか、という声あり。)いや、記録にちゃんと残っています。くんづほぐれつの大格闘を演じたものだ。鴎外なおかくの如し。いわんや、古来の大人物は、すべて腕力が強かった。ただの学者、政治家と思われている人でも、いざという時には、非凡な武技を発揮した。小才だけでは、どうにもならぬ。武術の達人には落ちつきがある。この落ちつきがなければ、宇田修一子はどんな仕事もやり了せる事が出来ない。伊藤博文だって、ただの才子じゃないのですよ。いくたびも剣の下をくぐって来ている。智慧のかたまりのように言われている勝海舟だって同じ事です。武術に練達していなければ、絶対に胆がすわらない。万巻の書を読んだだけでは駄目だ。坊主だってそうです。偉い宗教家は例外なく腕力が強い。文覚上人の腕力は有名だが、日蓮だって強そうじゃないか。役者だってそうです。名人と言われるほどの役者には、必ず武術の心得があったものです。その日常生活に於て、やたらに腕力をふるうのは、よろしくないが、けれどもひそかに武技を練磨し、人に知られず剣道七段くらいの腕前になっていたら、いいだろうなあ。(先生も、学生も、そろって深い溜息をもらせり。)いや、しかし之は、閑人のあこがれに終らせてはいけない。諸君は、今日これから直ちに道場へ通わなければならぬ。思う念力、岩をもとおす。私は、もはや老齢で、すでに手おくれかも知れぬが、いや、しかし私だって、――(口を噤んだ。けれども、何か心に深く決するところがあるらしく察せられた。)